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木曽義昌公史跡公園 [ZX-14Rと茨城、千葉、300km圏内]

3月上旬、千葉県内を走った時に立ち寄った場所。

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到着。

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木曽義昌公の銅像。
旭将軍と呼ばれた木曽義仲の子孫とかなんとか・・・

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木曽と名乗っていたので木曽谷の領主だったけど、

・武田信玄に下る
・武田家がダメになったので手を切り信長に下る
・(本能寺の変で)織田家がダメになったので北条家に下る
・北条家がダメになったので家康に下る
・家康が小牧長久手の戦いで秀吉に負けたので秀吉に下る
・家康関東移封に伴い、同伴。千葉旭へ

見事なまでの逆張り人生。

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木曽義昌のお墓。水葬との事。
戦国、江戸初期の頃は荼毘はなかったのかな?

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時世の句。
"信濃に居たけど、旭(朝日)が見たかったので千葉にきたぜ"な感じかな?

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現代のサラリーマンに通じるものを感じながら見学完了。

千葉旭の将軍という言い方をすれば、
義仲公と同じ旭将軍だったり。

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コメント 4

deepredcocktail2

呂布みたいですね(すぐ三国志に例えてしまう・・・笑)
by deepredcocktail2 (2017-05-17 11:34) 

tai-yama

>deepredcocktail2さん
コメントありがとうございます。
呂布は董卓か袁紹に仕えていればよかったのかも。独立するには
無理があった感じですし・・・・。仕える人(会社・上司)によって
運命が変わるのは今の時代でも同じなのかも(笑)。
by tai-yama (2017-05-17 23:16) 

響

世渡り上手の先読み下手っ事ね(笑)
by (2017-05-18 21:00) 

tai-yama

>響さん
コメントありがとうございます。
戦国時代はそれこそ、仕える人(もしくは味方にする人)を間違える
とそのまま終了してしまう時代だったので・・・。家康に仕える
のは間違っていなかったのですが、時期が悪かったのもあり(悲)。
全盛期は10万石あったのに最後は千葉の田舎で。これも運命ですね。
by tai-yama (2017-05-18 23:55) 

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